大塚歯科3代目物語

親辛抱 子楽 と昔から言われていますが、私の家は代々歯科医の家で、私で3代目となります。私の祖父(大塚 義三)は、岡山県高梁市成羽町にて大正12年に開業し、長男である父(大塚 襄)は、昭和37年に岡山市築港新町にて開業いたしました。また、叔父(大塚 彰)は、現在、祖父の跡を継ぎ、岡山県高梁市成羽町にて開業しており、現在、息子(大塚 滋)と一緒に診療しております。
私の父が当地にて開業した当時の写真を見ると、360度野原が広がり、まるで、アメリカの西部開拓史を思わせるような光景でした。そんな中で育ったものですので、自転車を駆って、朝から晩までザリガニとりに遊び呆けておりました(笑)。

話は一気に飛びますが、高校卒業後、一浪の末、何とか父の母校である東京歯科大学へ入学し、花の東京へ、行く事ができ大変嬉しかった事を覚えております。
大学ではヨット部へ入り、毎週合宿のきつい練習でしたが、クラブ活動以外に先輩から歯科医のあり方、勉強の仕方等々を教えて頂き、自分の人生にとって学業以外のことで教えを頂いた事を記憶しております。そんな生活の中で私は、矯正歯科に興味を持ち、卒業後、矯正科へ入局する事になりました。最初は楽な医局生活でしたが、ところが、5月の連休明けから地獄のような、矯正専門医養成コースが始まったのでした。朝から、入れ替わり立ち代りで、先輩の先生の講義があり、夜になると、今度はワイヤーベンディングの実習です。時はバブル絶頂期です。
大学を卒業後、直ぐに開業医に勤務した友人は、毎日楽しい思いをしている頃、私は毎晩ワイヤーと格闘しており、なんとも大変な医局に残ったものだと思いながら過ごしたものでした。
そんな、生活が3年ぐらい続き、研修過程は何とか卒業したのですが、今度は大学院の論文をまとめなければなりませんでした。これがまたまた大変で、書いては訂正を受け、また書いては訂正を受け、とうとう胃痛がひどくなり、一時期入院してしまいました(泣)。紆余曲折があり、やっとの思いで論文が出来、やっと大学院を卒業しました。なんとも華々しい大学生活ではなかったのですが、今思うと、やはり若い時に仕込んだ勉強、技術は素晴らしいものだと自負しております。
個人的には、大学へ残り、後輩の指導にあたりたかったのですが、大塚家3代目としてはやはり、岡山へ帰り、跡を継がないといけないと言う思いに駆られ、帰岡いたしました。
平成4年2月に大塚矯正歯科クリニックを開業し、現在に至っております。



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