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「矯正専門医」大塚 淳の一診入魂

お奨めの本

お奨めの本

【こんにちは 大塚矯正歯科クリニックの大塚 淳です】
今日の岡山は快晴です
室温 20.7度
湿度 46%
今日は本のご紹介です。

奇蹟の画家
後藤 正治 (著)

神戸在住の画家
「石井一男」氏が
画商の島田氏と出会い
遅咲きの画家としてデビューするまでを
ルポタージュした本です。

本文を少し引用します。
私はこれで引き込まれました。
合掌

石井さんとの出会い
受話器のむこうで、内気な声が必死に訴えるようにしゃべっている。「突然、電話をしてすいません。おたくのギャラリーは、時々拝見させていただいてますけど、先日「ギャラリーインフォメーション」を読ませて頂いて、信濃デッサン館への旅に感激しました。こんな文を書く方なら、私のことをわかってくれるのかと思いまして・・・・」時々胸の病気を想像させるような咳をまじえながら、彼は延々と喋り続けた。「石井一男、49歳。独身。年老いた母親しか身寄りがなくて、内気な性格で、友人もいない。夕刊を駅へ届けるアルバイトを続けながらただひたすら絵を描いている。でも体調も悪いし、あまり先がない予感もする。絵を見ていただくだけでよいから」
あまりに暗い話し振りに、途中で電話を切るわけにも行かず途方に暮れてしまう。すがりつく声に、「ともかく、一度資料か絵を持って訪ねてきてください。」と電話を切る。やりとりに耳を傾けていたスタッフが「変な電話ですね」と肩をすくめてみせる。
こうした仕事を続けていると、作品を見せてほしいという話は、しょっちゅうある。それにしても、誰にも習ったこともなく、発表したこともない、ど素人さんでは仕方ないではないか。せめて元気づけてあげるくらいしか、ぼくにできる役はない。そして、その話は忘れてしまった。
数日して、画廊に、白いシャツに紺のズボンをはいたこざっぱりした格好で、キャリーに絵をくくり付けた、顔色の悪い男が現れて「石井です。」と名を告げた。緊張して硬くなり、余計に変に咳き込む彼を促して、ケース一杯に詰められた100点近いグワッシュ(水彩絵の具の一種)を、時間がかかるな、と溜め息をつきながら手に取る。2枚3枚、と繰って行くうちに、今度はこちらが息を呑む番だった。これは素人の手遊びとはとても言えない。どれも3号くらいの婦人の顔を描いた小品だけど、孤独な魂が白い紙を丹念に塗り込めて行った息使いまで聞こえてきそうだ。どの作品もが、巧拙を超越したところでの純なもの、聖なるものに到達している。思わず「なかなかいいですね。」とつぶやいてしまう。本当は「すごいですね」と言ってあげたかったのだけど、何しろ世間から隔絶されていきているようにしか見えない石井さんに、急激なショックを与えてはいけない。
持参の油絵も頑固で禁欲的なマチエールをもった作品で、これもいい。これだけの作品を描ける人が49歳まで、どこにも作品を発表せず、完全に無名で、かつ展覧会を何度も開けるくらいの高い水準の作品を描き続けていたとは、信じられない。そして、石井さんとぼくを結び付けた「信濃デッサン館」の不思議なご縁。この段階で、そのことはおくびにも出さず「近いうちに、もう少し作品を拝見しに、アトリエへ伺います。」と、涙を流さんばかりに目を輝かせている石井さんに伝えて、この日は別れた。
発表するあてもない作品は、「無名のままであり続けて風化して土に帰ればよい」という言葉そのままに、一点としてサインもなく、まことに潔い。それにしても信じ難い思いに取り付かれる

内容紹介
TBS『情熱大陸』が注視する画家はこの人
清貧な暮らしと深い孤独から生まれた「女神像」。観るものに静かに何事かを語りかける。石井の生き方、彼を発掘した画商、熱心なファンを通して描く絵が持つ力。
【講談社100周年書き下ろし作品】
内容(「BOOK」データベースより)
絵を見て泣いたことがありますか?病室で死を見つめた一枚の絵、亡き子を思い出させる女神像、神戸の被災者を勇気づけた彩り、清貧の画家・石井一男に救われた人びと。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
後藤 正治
1946年京都市生まれ。京都大学農学部卒業。ノンフィクション作家。1990年『遠いリング』(岩波現代文庫)で第12回講談社ノンフィクション賞、1995年『リターンマッチ』(文春文庫)で第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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